今日はわたしが海外事業部を目指した理由について、お話していこうかと。
今でもたまに友人に会うと、「なんでおまえが?」、と不思議がられます。
学生時代はマジで英語、嫌いでしたので。
競争が激しいところでは消耗する
わたしの周りを見ていると技術系ということもあり、英語が話せない人がほとんどです。
一方で、計算が得意という人はたくさんいます。
わたしも計算は得意でしたが、社会に出てからはわたしの何倍ものスピードでこなしていく方々に出会い、挫折を経験しました。
「そんな状況で生き残っていくのは絶対にレッドオーシャン」だというのを入社早々に感じたのを覚えています。
英語はいわば逃げの一手
そんなゴリゴリの技術系職場で、わたしが生き残っていくにはどうすれば良いかを考えました。
そこで思い付いたのが英語の存在。技術系の人って英語が強い人は少ないんですよね。
であれば、そういった希少人材になれば生き残れることができるのでは、そんな思いでした。
折りしも、学生時代も終わりに差し掛かるころには英語に対する嫌悪感も、払拭できていましたので。
いまでもそうですが、技術の勉強をするより英語の勉強をしていたほうが楽しいんですよ。
その時点で変わり者ですねwww
会社は内向きで海外事業部を目指す人は希少
幸い、わたしの会社では海外事業部を希望する人はほとんどいませんでした。
というか、それは今でも変わっていません。
それは会社の方針からも明らかでしたし、人員配置を見てもよくわかります。わたしの会社では、海外事業部のメンバーは全社員の1%にも満たないですからね。
肩身が狭いのはいうまでもありません。
しかし、主戦場は海外ですので、国内部署の人がなんと言おうとわたしは気にしません。
ということで、逃げるためにはちょうどいい場所でした。
なので、海外はそういう意味でもよかった
「いつか絶対に入ってみせる」、という思いで必死に勉強しました。
当時が人生でもっとも勉強した期間と言っても過言ではありません。
その分、入る難易度は高めです
人員が少ない分、入るのは大変でした。英語ができるだけでは入れませんからね。
実績が少なく、学歴がないわたしにとって、なにかこう「絶対に入りたいという想い」をぶつける必要があったと当時から考えていました。
しかし、とくになにをすることもなく、評価面談のときに意思を伝えることぐらいしかできませんでした。
しかも、当時は今ほど言いたいことをハッキリといえてませんでしたので、「機会があれば行きたい」、くらいのレベルでしか、伝えられませんでしたね。
しかし、そんなわたしにも転機が訪れます。
それは社内人材公募でした。そのときのお話についてはこちらをどうぞ。
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偶然舞い込んできたチャンスをものにできたのは、今までしっかり準備をしてきたからだと思っています。
逃げるといっても努力から逃げていてはなにも始まりません。
自分が得意とする分野で活躍することが、もっとも手っ取り早い成功といえますね。
舞台選定は大切
自分が戦えるフィールドを探し続ける、そのためには逃げも必要、フィールドが見つかったらそこで努力する。
これが、楽しく仕事をしていくための手段だと思います。
わたしもこうして現在の生活を手に入れることができました。
しかし、現状に満足していません。
わたしのゴールは海外で生活することですので、それができるまで、努力を続けていきたいと思います。
この考え方を教えてくれたのがこの本。
競争が激しい花形分野で成功したいというのは誰しもが思うことです。
しかし、そこには必ず上には上がいます。それに勝ち続けられないのであれば、自分が勝ち続けられるフィールドを探すことが大切です。
努力を継続しつつ、たまには楽をして生きられる場所を見つけましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Have a lovely evening!!
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