大卒でなくても大手企業の海外事業部への行き方、教えます!!

人材公募への応募で人生が一変

社内人材公募と尊敬する上司の存在

わたしが海外事業部に転属できたのかを紹介します。

 

  • 高専卒でも、
  • 大企業の海外事業部で活躍できる、

方法を紹介していきます。

 

学歴社会が崩壊しているとはいえ、まだまだ大企業ではその文化が色濃く残っています。わたしがいる会社では、そんな外の文化はどこ吹く風。学歴社会はおろか、学歴派閥が存在し、歴代の上司と同じ大学を出ていないとそもそもなれないポストもあるくらい。

 

こんな会社では、そもそも海外事業部への配属など、わたしのような”雑種”にとって、夢のまた夢でした。

 

しかし、貪欲なアピールでなんとかものにしました。今日はその方法をすべて紹介していきます。

 

すべてのはじまりは、社内人材公募への立候補でした。

 

2016年、妻と結婚し、新しい生活を切り始めた直後のことでした。会社で人材公募制度が復活しました。

 

数年前までは毎年実施されておりましたが、業績不振による経営が怪しくなってきたため、一部の福利厚生といっしょに当制度は一時廃止されていました。

 

廃止されたあと、存在すら忘れていましたwww

 

そんなとき、いつも通りイントラ内をチェックしていると人材公募の募集がありました。そのときは、”海外事業部があるかな〜”、ぐらいの気持ちで覗いてみることにしました。

 

そして、いざ見てみるとあるではありませんか、海外事業部!

 

募集定員は1名。応募条件であるTOEIC600点以上はパスしておりました。しかし、社内には東大、早稲田、慶應をはじめとした、超一流大学を勝ち上がってきた猛者たちが数多く在籍しており、わたしのような、大学すら出ていない人間を相手にしてくれるはずがないと考えていました。

 

いまほどではありませんが、当時からわたしの中に大卒に対する偏見、卑屈はありました。

 

現場第一線では、”学歴は関係ない”、という人はいても、やはり昇進している人たちは、大卒が基本で、それに満たない学歴の人は、よっぽど秀でた才能や上司からの引っ張りがなければ、上がることはありません。

 

そんな状況ではありましたが、呑み友である上司(その方も大卒)からのひと言が、わたしの中で妙に腹落ちしました。

 

チャレンジしてみないことには結果はわからない、なんでもやってみるべき!!

 

呑んでいるせいもあったかもしれません。

 

しかし、その上司の生き様のように感じました。その方は社内政治には一切興味がなく、自分の意思をずっと貫いてきています。なので、社内では敵が多い一方で、少数の方には圧倒的な信頼を得ており、わたしも尊敬する上司の1人です。

 

そんな努力の上に勝ち上がってきた人のセリフだったので、余計に説得力がありました。

 

それを聞き、わたしの中で腹は決まりました。チャレンジしてみようと!

 

妻への相談

そんな飲み会を終えた週末、わたしはそのときの話しを家での食事のときに、妻へ説明しました。

 

結婚前から、海外事業部や海外事務所への異動の打診があり、そのたびに説明してきました。しかし、それらはすべて泡となっていました。なので、そのときも妻は、”どうせまた、なかったことになるのがオチだろう”、と考えていたそうです。

 

さすがに、結婚をし、これから生活を固めていく必要があることは自分でも理解していました。

 

なので、このときに妻と約束をしました。「今回が最後、これで海外事業部が叶わなかったら諦める」と。

 

その覚悟に妻は理解してくれ、応募を承諾してくれました。

 

いざ選考へ

選考は書類審査と面接の2段階

第一関門の書類選考ということで、課題作文がありました。テーマは以下2つ。

  • 志望動機、
  • 自己PR。

 

当時、書き慣れていなかったわたしはけっこう苦労しました。

 

もともと作文が苦手ということも重なり、業務時間の空き時間を使ったり、家に帰ってからも時間を作り作成しました。

 

  • なぜ海外事業に興味があるのか、
  • そのために、いま現在どんな努力をしているのか、
  • 配属されたら、なにができるのか、

この当たりを棚卸しして、書きました。

 

出来上がったエントリーシートは、制度上は不要であったものの、念の為、直属の上司にも見てもらいました。いろいろダメ出しをもらいつつ、なんとか書き上げることができました。

 

提出後、あらためていつもの呑み会メンバーに報告をしました。その際、呑み友上司から、”なんでオレに見せに来ないんだ”、と言われたのを覚えています。

 

いやいや、だってあなた、”そんなん見る気はない!”って、呑みながら言ってたじゃん。ってツッコミたくなりましたよ。

 

でも、いま振り返ってみるとわかりますね。呑み友上司は兄貴肌なので、口では拒否しつつも応援したい、フォローもしてあげたい、という人ですので。

 

当時のわたしは少し後悔もしました。せっかくの理解者に見てもらうことをせず、機会を逃しましたので。

 

書類選考は無事通過

そんなこんなで、すでにエントリーシートは送ってしまっていたので、あとは結果を待つのみ。

 

結果はメールで、案外サクッときました。

 

”書類選考はパスしたので、次は面接です”、と。

 

正直、うれしかったですね。

 

こっちは背水の陣で臨んでいますからね。

 

そして面接へ、、、

面接は、本社会議室でした。

 

それまで、数回した訪れたことがなかった本社ビル、足を踏み入れるだけで緊張しましたよ。しかも、普段訪れるフロアではないので、全く知っている人もおらず、完全に孤独でした。

 

面接は、16:00-ということで、フレックスで職場を出て向かうことに。

 

遅れてはまずいと思い、少し早めに到着し、トイレの個室にこもっておりました。面接に備えた回答集とにらめっこしてました。

 

時間が近づき、トイレを出て会議室前で待つ。しかし、待てども待てども呼ばれる気配がありません。

 

耳を澄ますとかすかに室内の声が聞こえました。しかし、どんな内容を話しているかまでは、わかりませんでした。

 

その後も終わる気配がなく、緊張しっぱなしで30分待ちました。そして、ようやく前の人が終わり自分の番へ。

 

会議室には人事部、海外事業部の方が1人ずつ、計2人が面接官でした。

 

エントリーシートに沿って今までの業務内容、志望動機、今後の仕事に対する思いをお話しました。あとは、カンタンな業務内容、今後のビジョンを説明してもらいました。

 

わたしの面接は30分程度で終了し、合否は後日メールにてご連絡します、とのことでした。

 

結果は不合格になるも、人事方の目に止まり、子会社へ出向

結果は不合格

ま、当たり前といえばそれまで。

 

事務局に不合格の理由を聞きましたが、当たり障りのない回答。たくさんの応募があった、どの方も素晴らしかったので、選ぶが難しかったと。

 

後からきいた話では、同じ支社からエントリーされた方が合格されたそうです。その方は、北京大学をご卒業された超がつくエリートですから、仕方がありません。

 

結果が出たのが3月下旬、”もうこれで海外事業部の夢は諦めだな”、と思っていました。

 

同年5月に思いも寄らない形で復活

その後、何事もない日常が流れ、エントリーしたことが記憶の片隅においやられていました。

 

そんな5月のある日、仕事中に上司から突然呼ばれ、会議室へ来るように言われました。

 

わたしの会社では定期異動が7月なので、人事にしてはまだ少し早いな、と感じ、なにごとか検討がつきませんでした。

 

いざ、上司と会議室で対峙すると、思いもしない内容を伝えられました。

 

  • この前の海外事業部へのエントリーに人事部が興味を示している。
  • 海外事業部にいけるかもしれない。
  • ただ、いまの会社ではなく、どこかの子会社に出向になると思う。
  • 正式ではなく、まだ検討段階なので、そのつもりで。

 

ビビりました〜。当時のわたしに、子会社の海外事業部などという選択肢は想定外だったので、非常にうれしかったです。

 

たしかに、大企業であれば子会社はたくさんありますし、そういう可能性もあったんですね。わたしのいる会社は、それこそ子会社の数は膨大で、関連会社を含めれば本が1冊できるくらいの数がありましたのでwww

 

にしても、人材公募に応募した経緯は直属の上司と呑み友、計数人しか話しをしておらず、それ以外には知らないはずでした。応募要項にも、関係者以外には口外はしない、と記載されておりました。

 

それを上司に確認すると、

 

そんなの課長職以上の人なら、誰でも知ってる。なんでも鵜呑みにするな。

 

って言われました。たしかに、言われてみればそうですよね。だれがそういう機会にエントリーして、どういう希望をしているか、というのは、人事権をもつ課長職に共有されるべき情報ですから。

 

海外事業部へ異動の可能性があったことにただ喜んでいたわたしは、そんな上司のちょっと汚い口調など、全く気にしませんでした。

 

内示がなかなか出ず、、、

その後、とくに音沙汰もなく過ぎていきました。

 

わたしの会社は通常であれば、県外異動の場合には1ヶ月前くらいに事前に通知してもらえることになっていました。

 

しかし、なかなかその通知がきません。

 

上司に確認すると、未だ正式に配属が決まってないとのこと。人事部からの連絡もないので、もしかしたら、なくなるかもしれないとも言われました。

 

いずれにしても、わたしの中では最後の勝負でしたので信じるしか道はありませんでした。

 

辞令発令日当日朝にやっと正式に決定

そんな不安な日が続き、いよいよ辞令発令日になってしまいました。

 

妻からは”今日だね、辞令”、と言われました。出るのか出ないのかわからず、なんとも複雑な朝でした。

 

会社に着いて、朝礼が終わった後、上司に呼ばれました。上司の口からでた言葉は、

 

子会社の海外事業部に決まったぞ。

 

これを聞いて、ホントにうれしかったです!!やっと夢が叶いましたので。

 

その直後、妻に連絡しましたが、妻はあまり喜んでいないようでした。

 

たしかに、そのまま地元にいれば通勤時間も30分だったので、家族ができていました。

 

しかし、海外事業部ということで、本社の東京勤務になりました。その結果、通勤時間も増え、家族の時間が少なることが目に見えていたので、それを心配してのことでした。

 

しかし、そのときのわたしは、まだこの先に起こるさまざまな出来事を知らなかった訳で、、、

  • 東京で単身赴任、
  • その後、エジプト行き、
  • しかもそれが、約3年続く。

 

まとめ:貪欲にアピールすべき!!

わたしは、こうして大企業の海外事業部のきっぷを勝ち取りました。

 

子会社への出向が2020年10月に終わり、親会社の海外事業部に来ました。遠回りはしましたが、結果して夢を実現することができました。

 

海外事業部の同僚に高卒、高専卒は片手で数えられる人しかいません。しかも、大卒のみなさんはほとんど超一流大学を学歴に持つ猛者ばかりです。

 

これは、子会社の話ではなく、親会社の海外事業部でも同じです。

 

ですが、そんなのは、配属されてしまえば関係ありません。学力と仕事のできは比例しません!

 

それは、わたしが断言します!!

 

実際、今まで何回も、エリートがつくった報告書や資料をわたしが修正し、上司やお客さまへ提出していましたので。

 

ぜひ、貪欲にアピールして世界への道を切り拓いてください!

 

学歴が不要な時代はもうすぐ目の前です!

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

Have a lovely evening!!