カイロの路上で見た「現実」と、我が子に想う「感謝」。日本の子育てが“恵まれすぎている本当の理由

我が子の寝顔を見つめながら、ふと、遠い国の記憶が蘇ることがあります。
エジプト駐在時代、カイロの路上で見た、幼い子供たちの力強い眼差し。
日本で親になった今、あの光景が全く違う意味を持って、わたしの胸に迫ってくるのです。
日本での子育てに不満がないわけではない。
でも、わたしたちが享受している「当たり前」が、いかに奇跡的なことか。
これは、わたしがエジプトで目にした3つの「現実」と、そこから学んだ、日本という国への「感謝」の物語です。
【第一章】当たり前の「衛生」— 哺乳瓶が教えてくれたこと

今、わたしの家では、赤ちゃん専用の洗剤で哺乳瓶を洗い、専用の消毒液に浸すのが、毎日の光景です。
日本の友人宅でも、それは同じ。
誰もが疑うことのない「当たり前」です。
しかし、わたしの記憶の中のエジプトでは、その「当たり前」は存在しませんでした。
わたしがカイロの路上で実際に目にしたのは、食器用洗剤の空きボトルで、赤ちゃんにミルクを与えている母親の姿でした。
家の中ではなく、路上で。
専用の哺乳瓶ですらなく、洗剤のボトルで。
貧富の差が激しい社会では、赤ちゃんの衛生環境を完璧に整えることすら、一つの「贅沢」なのです。
わたしたちが毎日何気なく行っている消毒の一つ一つが、どれほど恵まれた行為であるか、わたしは思い知らされました。
【第二章】当たり前の「子供時代」— 働く子供たちの眼差し

日本では、15歳未満の子供が働くことは、原則として禁じられています。
子供は「労働」から守られ、「教育」を受ける権利が保障されている。
これもまた、わたしたちの「当たり前」です。
しかし、カイロの街角では、小さな子供たちがトゥクトゥクを運転し、観光客相手に商売をする光景が、日常でした。
それは、必ずしも家が貧しく、働かざるを得ないから、だけではありません。
大人よりも子供が物乞いをした方が、同情を引いてお金をもらいやすい。
そのことを知っている親が、あえて子供を働かせているケースも目の当たりにしました。
子供が得たお金をすぐに回収できるよう、物陰から親が監視していることも…。
「子供時代」という、保護されるべき時間が、生きるための「戦略」の中に組み込まれている。
その現実は、あまりにも衝撃的でした。
【第三章】当たり前の「教育機会」— 公立と私立の天国と地獄

日本にも、公立と私立の学校はあります。
もちろん学費や教育内容に差はありますが、公立に通ったからといって、読み書きができないまま卒業する、なんてことはあり得ません。
誰もが一定水準の教育を受けられる。
それが、日本の「当たり前」です。
しかし、エジプトでは、その差は「天国と地獄」と言っても過言ではありません。
公園で遊ぶだけで授業が終わる公立学校がある一方で、富裕層や駐在員の子が通う私立学校では、多言語での英才教育が行われています。
卒業する頃には、両者の間には、一生かかっても埋められないほどの知識と機会の差が生まれています。
わたしの職場の同年代のエジプト人スタッフと、彼らが「お客様」として接する政府高官とでは、収入がゼロ一つ違いました。
その差は、まさにこの教育格差から生まれているのです。
【まとめ】日本に生まれた君へ。父として、今、思うこと。

日本での子育てが、100%完璧だと言うつもりはありません。
たくさんの課題や、困難があるのも事実です。
しかし、わたしたちが当たり前のように享受している「安全な水」「守られた子供時代」「平等な教育機会」が、世界のどこかでは「奇跡」なのだということ。
その事実に感謝し、君がその恩恵を最大限に活かして、自分の人生を力強く歩んでいくこと。
それが、父としての、今のわたしの、一番の願いです。
日本で生活していると気づきにくい、この国の素晴らしさ。
この記事が、誰かの日常に、新たな感謝の視点をもたらすきっかけになれば、これほど嬉しいことはありません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Have a lovely evening!!
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