音声解説はこちらをどうぞ。
今日はごく私事。
でもみなさんにも必ず訪れるときがきます。
他の人の経験を聞いて、自分のそのときに後悔しないようにしてもらえたらと思い、書くことにしました。
写真に収めて、思い出を残す
事前に祖母の家が解体されることを聞いていました。
昨日、クルマを借り実家を含めでかける予定があったので、行ってきました。
中は解体されつつも、建物の原形は残っていたので、それを写真に収めてきました。
いざ壊されることを知って対面すると、懐かしい記憶がよみがえってきますね。
- 季節の行事ごとに訪れたり、
- 親戚一同が会ったり、
- 中学校の目の前だったので、
- 帰りに寄ったこともありました。
わたしの祖母の家は、実家から目と鼻の先の距離だったので、結婚してエジプトに行くまではなにかと行くことが多かったです。
わたしの祖母孝行は80点
いま振り返ってみると、それなりに祖母孝行はできたのではないかと思っています。
というか、そう思うようにしています。
後悔が残っていると楽しかった記憶が思い出せないので。
わたしが一番よかったと思っているのは、たくさん食事に誘えたことかと思っています。
そんなきっかけを作ってくれたのも祖母でした。
19歳のころ、どうしてもクルマが欲しかったわたしに祖母が資金援助をしてくれました。それと少しの自分の貯金を合わせ、足りない分は親ローンではじめてクルマを買いました。
わたしのアイコンにもなっている黄色のコペンです。
当時は高専5年生で学生最後の年、自由に使わせてもらいました。
その後、社会人になっていままでの友人とも疎遠になり、時間を持て余すようになりました(当時は、まだ英語の勉強は始めていません)。
そんなときにふと思い出した祖母の存在。クルマを買ってくれた祖母になにかできることがないか、と考えるようになりました。
週末のお昼は外食することが日課になっていたので、それに祖母を誘うことにしました。
当時のわたしはなんとも思っていませんでしたが、祖母はとてもうれしかったようです。その後は、毎週のように寿司にラーメンに、近場でいろいろなところに行きました。
たぶん、半年〜1年は続いたと思います。その後は、英語に目覚めてしまったので、行く回数はグッと減り、いつしかゼロになっていました。
2019年に祖母が亡くなり、遺品の整理が終わった母から連絡がありました。実家へ訪れてみると1964年に製造された東京オリンピック記念硬貨がありました。それを見せられるまで、わたしはそのことを忘れていました。
いつかの祖母との食事の後、祖母の家に寄ったときがありました。
そのときに、その硬化を祖母が見せてくれ、わたしがほしい、と言ったそうです。それを祖母は忘れずに取っておいてくれ、亡くなる前に母に託してくれたそうです。
わたしは思わず胸が熱くなりました。当時は20代そこそこで毎日なにも考えずに生きていました。そんなわたしの思いつきのような頼みを、死ぬ間際まで覚えていてくれたんですから。
そのときになって、わたしははじめて思いました。あのときご飯に誘っていて本当によかったと。
人間、死ぬのはいつかわかりませんからね。親孝行は今のうちからやっておこうと思いました。
親孝行は100点を目指す
祖母孝行はできたこともあるし、できなかったこともあります。
なので、自分の親には後悔せずにしようと思っています。
なので、2020年から日本にいる間は、月1回は会いに行くようにしています。同じ県内にいても機会を作らなければ会うこともありませんからね。
ちょうど長男も産まれたばかりで、成長早い0歳の期間を見てもらうという口実もありますからね。
口実がなく行くのも恥ずかしいものがありますからwww
みなさん、親孝行してますか?
亡くなってから、病院生活になってからでは遅いですよ。今のうちからできることやっておきましょう。
とりあえず、会いに行くだけでいいんです。そこから切り口が見つかるはずですから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Have a lovely evening!!